一般財団法人Nightingaleは、川崎市の児童養護施設に入所されている方や一人親世帯の方を対象に、でっかい夢はあるけれど金銭的に困っている方を支援したいと思っております。日本中どこででも使用できる看護師の資格を取得し、安定した生活を確保したうえでさらに本当の自分の夢を掴むというのはどうでしょうか?1年に1~2人と考えています。

支援とは返済義務のある奨学金ではなく、全額返済しなくて結構です。そのかわりといってはなんですが、聖マリアンナ医科大学看護専門学校への入学、同校の奨学金も取得頂き卒業後3年間の聖マリアンナ医科大学病院グループに勤務頂きその奨学金の返済だけお願いいたします。なぜ聖マリアンナ医科大学なのかと申しますと、学生生活と就職後しばらくの間に困ったことがあったときに、私たちのクリニックのそばに学校や病院があり、私が今でも勤務している学校や大学病院であれば素早く対応できるからです。

興味のある方は、是非五十嵐レディースクリニックまでご連絡ください。

私たちのクリニックは2022年に財団法人Nightingale(ナイチンゲールと読みます)、を設立いたしました。この財団法人の設立は、私が自身のクリニックを開院するよりずっと前からの夢であり目標でした。

私はもともと、聖マリアンナ医科大学病院の産婦人科で、産科の副部長や婦人科の副部長として働いておりました。総合周産期センターでの勤務では、通常の妊婦健診や分娩に立ち会う仕事ともに、様々な家庭の事情をお持ちの妊婦さんの妊娠中の対応や産後の生活への支援を行ってまいりました。生まれて間もなくから乳児院で生活しなければならないお子さんも少なくなく、どの乳児院も満杯で空きができるまで病院でお預かりするようなこともありました。乳児院から児童養護施設へ。児童養護施設では18歳を迎えると施設を出ていかなければなりません。金銭的な自立は困難であり、自分のしたいことよりも生きていくことを優先しなければならず、仕事の選択肢が非常に少ないと伺っております。

一方で私は、女性医学、すなわち更年期障害や月経異常に関する専門医師でもあります。様々な理由で通常よりも早く閉経を迎えた方へのホルモン補充療法やそのほかの治療を行う診療部門の責任者を仰せつかっておりました。子供を持ちたいけれども、そのような理由からなかなか妊娠が難しく、つらい思いをなさっている患者さんが多くいらっしゃいます。

このような2つの部門に関わっておりましたので、乳児院には入った赤ちゃんとなかなか妊娠することが難しい患者さんとで里親制度を推進できないものかと思い、およそ10年間自分なりに活動をしてまいりました。しかし、残念ながらなかなかうまくいきません。そうこうしているうちに10年経ってしまったのです。

私は考えました。そしてこのような結論に辿り着きました。私が私のできることをしようと。財団法人Nightingaleは、近隣の児童養護施設の希望者で聖マリアンナ医科大学看護学校に合格したならば3年間の学費と生活費を支給・支援致します。そして看護師の資格を取得することで自立した生活を送りさらに本当の自分の夢を掴んでもらう、ことを目標とする団体です。Nightingaleから学生たちに支給・援助される学費や生活費は、五十嵐レディースクリニックを受診していただいた患者さんの診察料の一部を充てさせて頂きます。皆様から頂いた診察料の一部を学生の学費や生活資金に充てさせていただくことから、皆様にも私たちと一緒に若者の夢をかなえる手伝いをしているのだと、気持ちを共有して頂けたら非常にうれしいく思います。

さらに開業後、川崎市医師会の理事を拝命し少子化対策と災害医療の担当になりました。川崎市内の少子化について学ぶなかで、ひとり親世帯の約50%が相対的貧困状態、すなわち社会で多くの方が享受している「標準的な生活」を送ることができないことが分かりました。財団法人Nightingaleはそのような一人親世帯の子供たちに対しても支援を開始しました。聖マリアンナ医科大学看護学校に合格後3年間の学費を支給・支援致します。

一般財団法人Nightingaleの名前の由来はいくつかあります。一つは有名な「クリミアの天使」世界で一番有名な看護師さん。二つ目は、アンデルセン童話に出てくる病を治す、偽物ではない本物の鳥です。そして三つ目は赤い彗星の専用機です(笑)。

Nightingaleには気持ちの入ったロゴマークがあります。左側の小さい盾が私達五十嵐レディースクリニックです。私達のクリニックはほんの小さな盾かもしれませんが、強固な意志と希望を持っております。遠くない未来に、一生懸命に私たちが見守った若者たちが、将来立派に成長して、大きな盾となってより多くの患者さんを守り、護り、衛ってくれるようにという願い、祈りを込めてダブルシールドのロゴマークを作りました。植物と果物は、私の妻が奄美黄島の出身であることから、ハイビスカスとマンゴー。私達の活動がいずれは遠く南の島までも広がっていきますように、と願いを込めています。

川崎市役所の担当職員さんと連携し、具体的な活動を始めております。まだまだ実績はありませんが、ゆっくりかもしれませんが、着実に歩みを進めます。 大学病院に勤務していた頃、お母さんと離れて暮らさなければならない赤ちゃんを、お母さんをたくさん見送ってきました。泣きながら赤ちゃんを市の職員に渡して、去っていく赤ちゃんを見送るお母さんの震えた背中が脳裏に焼き付いて忘れられません。あの時何もできなかった、何もしてあげられなかった私は今、できることがあります。まだ出会っていない、もしかしたら赤ちゃんの時に会っていたかもしれない君たちの夢に間に合いますように。今まさに助けを求めている将来がある若者の手助けができますように。